静岡市議会 2021-11-11 令和3年 まちづくり拠点調査特別委員会 本文 2021-11-11
まず、家康の威光と駿府ということで、東海道を中心とした展示の内容になっておりまして、その東海道の展示を過ぎますと、静岡藩と新生静岡ということで、近現代まで御紹介させていただくというところです。 これらは基本展示になっておりまして、3階の一部が企画展示室になっております。年間4回ほど企画展を開催しながら、展示を変えてまいります。
まず、家康の威光と駿府ということで、東海道を中心とした展示の内容になっておりまして、その東海道の展示を過ぎますと、静岡藩と新生静岡ということで、近現代まで御紹介させていただくというところです。 これらは基本展示になっておりまして、3階の一部が企画展示室になっております。年間4回ほど企画展を開催しながら、展示を変えてまいります。
この3階の施設の展示室のコーナーで、静岡藩と新生静岡というコーナーがございまして、そちらの近現代の静岡について扱うコーナーに展示をする模型になります。 なぜ昭和36年なのかということでございますけれども、ちょうどこの頃の静岡市では、翌年の37年に全面廃止された静岡市内の路面電車がまだ走っていたということなんですね。
ちょうどその江戸時代の駿府、家康公が祭られた土地としての聖地であるとともに、江戸幕府が滅亡後も15代将軍の慶喜公は駿府に隠居されたということ、そして、一方家達を藩主とする静岡藩の誕生というところによって、旧幕臣の多くが駿府に集結されたということで、全国に先駆けた多くのいろんな新しい政策を生み出した明治政府の基盤となったという地ということは認識しております。
静岡藩に係るもの、それから明治維新後の資料等となっています。 ですので、歴史文化施設における展示の場所は、近代、現代の部分になります。そちらへの記念財団の資料貸出し等につきましては、具体的に資料名等も挙げて協議に入っているところです。
具体的にはどういうものかと言いますと、家康公の肖像画や明治維新になって静岡藩を置き、その初代藩主になりました16代の家達公に関する資料など、静岡藩の藩印や、家達公の直接藩主を拝命したときの資料など、そういった資料が主に徳川記念財団がお持ちの資料になってきますけれども、そういったところも今回の歴史文化施設の中では大きく取り上げていきたい部分でありますので、そういった資料の借用等について、現在、具体的な
また、「けいきさん」の次の代を継ぎました家達公を藩主に静岡藩が成立したというようなこともありまして、その静岡藩の成立によって当時の江戸幕府の頭脳というか、組織力というか、そういったものの全てと言ってはちょっと語弊があるのかもしれませんが、その多くがこの静岡に集結し、それによって、明治政府の知性の部分を、この静岡藩が支えたという事実があります。
後に、鉄舟は明治新政府において静岡藩権大参事等を歴任し、静岡の発展に大きな功績を残しました。 再来年、2018年のNHK大河ドラマは西郷隆盛が主人公の、西郷どんに決定したそうであります。徳川慶喜や勝 海舟、そして山岡鉄舟は、西郷とのかかわりの深い重要な人物であることから、静岡市も注目され、盛り上がってくれればと期待しています。
資料1に写真が載せてありますが、小島陣屋は慶応4年──1868年、静岡藩に引き渡されるまでの160年間は武士たちの住居として、そして明治3年にこの地から現在の小島小学校の場所に移築されまして、校長室兼校長住宅として使用されていました。明治の小学校、包蒙舎という学校として使用され、昭和3年に現在の国道52号沿いに移築され、公会堂として今も愛されています。
慶応4年、1868年に静岡藩に引き渡されるまで、160年間にわたり存続しておりました。御殿は、当時は武士たちの住居として、また、明治に入ると包蒙舎と呼ばれる小学校として使われ、昭和3年、現在の国道52号沿いに移築されてからは、地域の公民館として、今でも愛されております。
265年続いた徳川幕府は、政権を新政府に譲り、静岡70万石の大名として、すさまじいほど見事な静岡藩を構築します。近代日本の手本になるべく、教育の近代化を推進した駿府学問所、これは市長の母校である東京大学の前身となった学問所であると言われております。
小島陣屋は、慶応4年──1868年静岡藩に引き渡されるまで約160年間、武士たちの住居として、そして明治に入ると明治の小学校として、包蒙舎という学校として使われ、昭和3年、現在の国道52号線沿いに移築され、公会堂として今まで愛されています。外側の板材などを張りかえましたが、かわら屋根の上には、予算の関係でトタン屋根をかけて保存しております。